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東京地方裁判所 平成5年(行ウ)58号 判決 1996年3月27日

原告

長谷川ユキ

右訴訟代理人弁護士

北村行夫

中西義徳

澤本淳

松岡優子

川村理

被告

三田労働基準監督署長古屋英明

右訴訟代理人弁護士

島村芳見

右指定代理人

東亜由美

重山正秋

志村勝三

青木功一

湯本隆治

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対し、昭和五八年二月一九日及び同年三月三〇日付でした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)による療養補償給付を支給しないとの各処分並びに同年三月三日付でした同法による休業補償給付の一部を支給しないとの処分をいずれも取り消す。

第二事案の概要

本件は、原告が、被告の労災保険法による療養補償給付を支給しないとの処分及び休業補償給付の一部を支給しないとの処分につき、被告が治癒と認定した以後もなお原告は頸肩腕障害で苦しんでおり、右時点においては治癒していなかったのであるから被告の各処分は違法なものである旨主張して右各不支給処分の取消しを求めた事案である。

(争いのない事実)

一  原告は、昭和四六年四月一日からエッソ石油株式会社に勤務し、経理部支払事務課所属の一般事務に従事していたところ、昭和四八年七月ころから手指、腕、肩、頸にしびれ、疼痛、こり等が発症したとして、昭和四八年九月二五日医療法人社団港勤労者医療協会芝病院(以下「芝病院」という。)に受診し、「頸肩腕症候群」(以下「本件疾病」という。)と診断された。原告は、主治医の同意を得て、昭和四八年一二月一八日から昭和五〇年九月三日まで芝鍼灸所、昭和四九年一二月一九日から昭和五四年三月三一日まで丸野ハリ灸治療院、昭和四九年一二月二二日から体心堂理療室、昭和五四年四月一日から一本堂横山鍼灸療院に通院し、はり・きゅう、マッサージ等の施術を受け、昭和五七年一一月一六日からは芝病院から社会福祉法人賛育会病院(以下「賛育会病院」という。)に転医し、継続して治療を受けていた。

二  原告は、本件疾病が業務に起因するものであるとして、昭和四九年一二月二〇日付をもって、被告に対して、昭和四八年九月二五日から昭和四九年一月二二日までの間の休業補償請求書及び昭和四八年一二月一八日から昭和四九年一二月一二日までの間のはり・きゅうの療養補償給付請求書(芝鍼灸所分)を提出した。

被告は、調査のうえ、本件疾病を業務上の疾病と認め(症状確認日、昭和四八年九月二五日)、原告の右休業補償請求及び療養補償給付請求につき、いずれも給付決定をして支払をした。

三  その後、被告は、原告の本件疾病につき、業務上の疾病として症状確認をした日から満九年が経過し、原告の症状、診療回数、内容からみて、急性症状が消退し、慢性症状が持続しても医療効果が期待できない状況にあり、労災保険法上、治癒と判断されるとみられたところから、東京労働基準局長を通じて東京地方労災医員会会議(以下「労災医員会議」という。)の意見(症状固定)を得たうえ、昭和五七年一二月三一日をもって、本件疾病は「治癒」したと認定し、その後の給付を行わないこととし、その旨を昭和五八年二月二二日付文書により原告ほか関係者に通知した。

そして、原告が被告に対して、<1>昭和五八年二月一七日付で請求していた昭和五八年一月一日から同月三一日までの間の療養補償給付(賛育会病院の診療費分)、<2>昭和五八年二月二四日付で請求していた昭和五七年一二月三〇日から昭和五八年二月二三日までの間の療養補償給付(横山鍼灸院のはり・きゅう施術料、移送費、体心堂理療院のマッサージ、指圧、ホットパック施術料・移送費分等)、<3>昭和五八年二月二四日付で請求していた昭和五七年一二月一日から昭和五八年一月三〇日までの間の休業補償給付につき、被告は、右<3>の休業補償給付の一部(昭和五七年一二月一日から同月三一日までの間)の休業補償給付のみを支給し、右<1>の療養補償給付につき昭和五八年二月一九日付をもって、右<2>の療養補償給付及び右<3>の休業補償給付のうちの右一部の支給以外の分につきいずれも同年三月三〇日付をもってそれぞれ支給しない旨の処分(以下「本件各不支給処分」という。)をした。

四  原告は、<1>昭和五八年四月二二日付をもって右本件各不支給処分のうちの同年二月一九日付療養補償給付不支給処分につき、<2>同年四月二八日付をもって右本件各不支給処分のうちの同年三月三〇日付療養補償給付及び休業補償給付一部不支給処分につき、それぞれ東京労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたが、併合審理(労働保険審査官及び労働保険審査会法一四条の二)のうえ、昭和六三年九月三〇日付をもっていずれも棄却され、同年一一月一五日付をもって労働保険審査会に再審査請求をしたが、平成四年一一月二四日付をもっていずれも棄却され、平成五年三月一二日本訴を提起した。

(争点)

本件各不支給処分の正当性の有無であり、このことは本件疾病が昭和五七年一二月三一日に治癒の状態にあったと認められるか否かにある。

(当事者の主張の概要)

一  原告

頸肩腕症候群は、元々慢性疲労が原因となって発症する疾病である。急性疲労のように休養のみでは治癒しないところが疾病たる由縁であり、発病の当初から慢性疾患に分類される。そのため、その症状については、症状の強弱の差はあれ当初から慢性症状のみが存在している。このような頸肩腕症候群を対象に、被告の主張するような「急性症状が消退し、慢性症状が持続しても医療効果を期待し得ない状態を治癒」と考えることは、明らかな概念の矛盾である。被告の主張する「治癒」概念の頸肩腕症候群への適用は、労災から頸肩腕症候群患者を切り捨てる目的で政治的に作られたものであり、医学的見地からは一片の合理性もない。

原告は、本件疾病が発症した昭和四八年以来、賛育会病院等に通院して治療・施術を受けてきた。そして、被告が治癒認定した昭和五七年一二月の直後である昭和五八年二月当時の原告の症状は別表(略、以下同じ)1から3の各A欄記載のとおりであった。ところが、原告が、その後も通院治療を続けた結果、昭和五九年一二月には別表1から3の各B欄の記載のとおり、原告の症状は顕著に改善している。さらに、原告は、その後も治療を続け、本件提訴時である平成五年七月段階では、別表1ないし3の各C欄記載のとおりの症状になっている。以上の経過をみれば、本件各不支給処分時、原告の症状が「慢性症状が持続しても医療効果を期待し得ない状態にあった」と言えないことは明らかである。また、原告の症状が、被告による治癒認定時以後も改善の傾向を示していたことは、原告のリハビリ就労の勤務時間が徐々に長くなっていったことによっても裏付けられる(別表4)。

以上のとおり、原告は、被告が治癒と認定した後も通院治療を続けた結果、その症状の改善をみており、被告の治癒認定が誤りであることは明らかである。

なお、被告は、原告を治癒と認定した理由として労災医員会議の検討結果をあげ、労災医員会議は症状固定の理由として四点をあげる。しかし、労災医員会議の検討結果は、労災医員会議の構成員が医師としての良心を捨て、診断不可能なことをあたかも診断可能であるかのごとくに、行政機関の言いなりに症状固定との判断を下したとしか考えられないものであり、この行政の御用機関としての労災医員会議の結論を信用するなどということは全く考えられない。

結局、労災医員会議の検討結果なるものは、その構成員の匿名性、前提事実の不十分性の見地から全く信用するに値しないのであり、これらは治癒認定の理由とはならない。

二  被告

労災保険法一二条の八第一項一号の療養補償給付は、労働基準法七五条により、業務上の負傷、疾病等について必要な療養をする場合の補償を行うものであり、労災保険法一二条の八第一項二号の休業補償給付は、労働基準法七六条により業務上の負傷、疾病等のため労働することができないために賃金を受けない場合の補償を行うものであるところ、労働基準法七七条、労災保険法一二条の八第一項三号が負傷、疾病がなおった後も、精神、身体に障害のある場合には、これに対してその程度に応じ障害補償給付を行うことにしていることを考えれば、療養補償給付及び休業補償給付の場合の「療養」とは、負傷、疾病等による症状が全て消退するなど、俗に言う「全治した」状態になるまでの全ての治療等を意味するものではなく、負傷、疾病等に対する医学技術による治療効果が期待できる間の治療を意味すると解すべきであり、対象となるのは、医学的にみて通常医療効果の期待できる場合に限られ、傷病の症状が固定した状態に至って、より症状改善のため効果的な治療が期待できなくなったときは、たとえなお当該傷病は「治った」ものとして、労災保険法一二条の八第一項一号、二号の療養補償給付及び休業補償給付の対象外となり、身体に障害が残存する場合はその程度に応じ、所定の障害補償がなされる。

ところで、原告は、頸肩腕症候群には一般的に「急性症状」「慢性症状」なる概念は存在しないから、被告の右「治癒」概念は頸肩腕症候群には当てはまらない旨主張するが、頸肩腕症候群(頸肩腕障害)についても、その症状には急性期の症状と慢性化した症状のあることは、被告の提出した文献の記述から明らかであり、原告の主張は失当である。

原告の本件疾病は、昭和五七年一二月三一日をもって治癒している。

原告は、本件疾病について、昭和四八年以降満九年以上にわたって、前記病院等に通院して治療・施術を受けてきたが、治癒認定時のころの原告の病状をみると、主訴は頸、肩のこりと痛みであり、引き続く治療にもかかわらず症状にさしたる変化はなく、慢性化した症状を呈していることが認められた。すなわち、芝病院の昭和五六年一二月一日から昭和五七年一一月三〇日までの治療内容は、理学療法、筋力テスト及び機能障害指導のみでほぼ定型化されており、また、この一年間の実診察日数は一二日で、月一日ないし二日だけであり、月によっては通院のない月もある。さらに、疾病経過についてもレセプトには著変ある旨の記載はないことが認められた。はり・きゅうについては、昭和四八年一二月一八日から施術を受けているところ、昭和五七年中に原告が施術を受けた体心堂理療室及び一本堂横山鍼灸院からは、はり・きゅうの施術効果に関する所定の意見書の提出はなく、療養補償給付たる療養の費用請求書中原告の症状に関する記載(8欄の「疾病の経過及び概要」)も「疼痛有り、鍼灸マッサージ治療有効かつ必要」との記載(多くはゴム印)があるだけで具体性に欠けている。原告の右の治療内容、症状経過等を総合して検討すれば、原告の症状には著変なく、その治療方法も定型化されており、いわゆる漫然たる治療の繰り返しであると認められた。

右の事実に基づき、被告は、原告の本件疾病は労災保険法上の治癒(症状固定)の状態にあると判断したが、慎重を期するため右判断に医学的な合理性があるか否かについて、昭和五八年二月七日東京労働基準局において開催された労災医員会議に検討を依頼した。同医員会は、検討の結果、<1>約一年間にわたり診療の事実が少なく、治療の有意性に乏しい、<2>約一年間の診療の内容がほぼ同様の治療手法の繰り返しであり、治療効果があるものとは認められない、<3>約一年間の治療が、はり・きゅう、マッサージを主体とするものであり、後遺症状に対する対症的治療に終始しているものと認められる、<4>発症以来、長期にわたる加療を漫然と続けており、その症状は既に慢性化しているものと認められる等の理由により、「症状固定」と認められる旨回答した。

なお、原告は、労災医員会議の結果につき信用性がないと論難する。しかしながら、東京地方労災医員には、医師免許を有する者であって社会的信望があり、東京労働基準局又は管内労働基準監督署の業務に深い関心と理解を持ち、労災補償業務に積極的に協力する熱意を有する者で、管内の労災補償行政上特に医学に関する専門的知識を要する疾病の診断、治療等の経験又は研究歴の豊富な医師が選任されており、かつ、地方労災医員に委嘱されることにより、自己の利益をはかり又は政治的に利用しようとする者や公選による公職にある者又はその候補者は排除されて、公正中立な者が選任されている。したがって、匿名であるからといって、また、原告を直接診察していないからといって、直ちにその労災医員会議の判定結果を信用できないと断ずることは相当でない。

第三争点に対する判断

一  まず、労災法上の治癒概念について検討する。

労災法上、症状が固定すれば残存する症状は後遺症として取り扱われることから、労災法上の治癒とは、発症前と同じ健康状態に回復したことを意味する「完治」を指すのではなく、症状が安定し疾病が固定した状態にあって治療の必要がなくなった状態を指すものと解するのが相当であり、疾病にあっては急性症状が消退し、慢性症状が持続しても医療効果を期待し得ない状態になった場合を指すものと解される。

この点、原告は、頸肩腕症候群は元々慢性疲労が原因となって発症する疾病であり、発病の当初から慢性疾患に分類されるものであって、その症状の強弱の差はあれ当初から慢性症状のみが存するもので、頸肩腕症候群には一般的に「急性症状」「慢性症状」なる概念は存しないから、右「治癒」概念は頸肩腕症候群には当てはまらない旨主張する。しかしながら、(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば、頸肩腕症候群(頸肩腕障害)についてもその症状には急性期の症状と慢性化した症状のあることが認められるから、原告の右主張は採用できない。

二  そこで、本件不支給処分当時、「自己の傷病につき療養が必要であること」ないし「必要な療養のため、労働することができないこと」が存していたか否かにつき検討する。

(証拠・人証略)の結果並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  原告の症状の推移は次のとおりである。

原告は、昭和四八年六月下旬、右腕全体にだるさを感じ、同年七月、頸・肩・背中にこり、だるさを感じ、同年八月、肩こりが慢性化し、背中にも圧痛、戸外でも首筋に風があたると痛みを感じ不快になり、夜眠れない日が続き、そこで、同月一〇日、世田谷中央病院で受診したところ、同月一三日、腱鞘炎と診断され、投薬治療を受け、一週間休業した後職場復帰した。

原告は、同年九月二五日、芝病院で受診したところ、「頸腕症候群、一か月の休業を要す。」との診断を受け、同病院内の鍼灸所にて、鍼灸・マッサージ治療を受け、同月二六日から休業したものの、痛みで夜眠れず、ほとんど午前中寝込む状態が続き、同年一〇月二三日には「引き続き一週間休業」の、同月三〇日には「通常勤務を半減した勤務が可能」との各診断を受け、以後、毎週火曜日に芝鍼灸所で鍼灸・マッサージ治療を受けた。

原告は、昭和四九年一月二三日、職場復帰し、午前一〇時から午後二時まで勤務(但し、毎週火曜日は休業)するようになったが、同年四月に痛みが薄らぐようになるまでの間、症状は従前とほぼ同様であった。

原告は、同年五月一七日、友人の紹介で「丸野ハリ灸治療院」(中国針)で治療を受けたが、同月二三日、冷房の季節になると、頸、肩、腰の疼痛が再増悪し、イライラといった症状も出現し、同年六月から、勤務時間を午前一〇時から午前一一時四五分までに短縮(但し、毎週火曜日は休業)し、毎週火曜日に芝鍼灸所で鍼灸、マッサージ治療を、週二回丸野ハリ灸治療院で鍼灸治療を受け、同月下旬から、週に一、二回、温水プールでの運動療法を併用した。この結果、原告は、同年七月、頸、肩のこり、激痛がやや軽快し、頸部の運動制限も軽快した。

原告は、昭和四九年一二月、友人の紹介で「体心堂理療室」でマッサージ、指圧治療を受け、昭和五〇年一月以降、毎週火曜・金曜に体心堂理療室、毎週木曜に丸野ハリ灸治療院、毎週火曜午前に芝病院で鍼灸・マッサージ・指圧治療を受け、同年二月以降、毎週火曜・金曜に体心堂理療院、毎週木曜に丸野ハリ温灸(ママ)院で鍼灸・マッサージ・指圧治療を受けた。しかし、同年五月、冷房の季節になると、再度冷え・痛みを強く感じるようになり、同年七月三日から休業した結果、症状が緩和し、同月一五日から同月三一日までの間、毎週火曜、木曜の午前中には、水泳教室に、毎週一、二回は温水プールに通った。

原告は、同年一〇月一日、職場復帰し、午前一〇時から午前一一時四五分(但し、月一回の受診日は休業)まで勤務するようになったが、自覚症状は従前と変化はなかった。

原告は、昭和五一年三月一〇日以降、午前九時三〇分から午前一一時四五分までの勤務となったが、自覚症状に著変はなく、冷房の季節となった同年六月になると、頭痛、吐き気を感じ、頸、肩、背中、腰に激痛を感じ、丸野ハリ灸治療院に月曜ないし木曜に通院し、芝病院を同月二二日、同年九月二八日、同年一二月二八日に受診した。

原告の昭和五二年と昭和五三年の自覚症状は一進一退であり、この間、原告は、芝病院で月約一回の割で診察を受け(但し、診察を受けない月もあった。)、体心堂理療院(ママ)で週約一、二回のマッサージ・指圧治療を受け、丸野ハリ灸治療院で週一回とか月一回の鍼灸治療を受けた。

なお、原告の勤務は、昭和五二年八月から午前九時三〇分から午前一一時四五分まで(但し、毎週水曜日は休業)となった。

原告の自覚症状は昭和五四年になっても従前とほぼ変化はなかったが、原告は、同年四月、妊娠によりつわりが激しく症状が悪化したので、同年六月には、つわり症状がほとんどなくなり自覚症状も軽快していたものの、勤務を午前一〇時から午前一一時四五分までとし、同年九月になると、体調も安定してきて、勤務時間を午前九時三〇分から午前一一時四五分までとし、同月二七日から同年一二月まで産休をとったが、この間の自覚症状は一進一退であった。

原告は、昭和五五年一月、育児の疲れや寒さのためか、頸、肩、背中、腰の疼痛が増悪し、頭痛、不眠、イライラ感が重なり、子供を抱くと背中に激痛を感じ、冷え、しびれ感もあった。原告のこのような自覚症状は同年二月までほぼ同様であった。そして、原告は、同年三月三日に職場に復帰し、同月下旬に風邪をこじらせて一週間病休し、同月三一日から午前一〇時から午後(ママ)一一時四五分までの、同月一四日から午前九時半から午前一一時四五分までの、同年五月から午前九時から午前一一時四五分までの勤務に就いた。

この後の原告の自覚症状は、同年一二月まで従前同様一進一退であり、治療方法もほぼ従前と同様鍼灸・マッサージ・指圧治療であった。

原告は、昭和五六年一月二三日から産休をとり、同年三月一二日、次女を出産し、同年六月一日職場復帰し、同月一日から同月五日まで午前一〇時三〇分から午前一一時四五分まで、同月八日から同月三〇日まで午前一〇時から午前一一時四五分までの勤務に就いた。この間及びこの後の同年一〇月までの原告の自覚症状は、従前同様一進一退であり、治療方法も従前とほぼ同様であった。

原告は、同年一〇月、自覚症状が多少軽快したこともあり、勤務時間を月曜・火曜は午前一〇時から午後二時まで、木曜は午前一〇時から午前一一時四五分、水曜・金曜は午前一〇時から午後三時まで延長し、さらに、昭和五七年三月から月曜・火曜・水曜・金曜は午前一〇時から午後三時、木曜は午前一〇時から午前一一時四五分まで延長し、同年五月から月曜・火曜・木曜・金曜は午前一〇時から午後四時まで、水曜は休業とした。

この間及びこの後の同年一二月までの原告の自覚症状は、昭和五七年以降は冷房下において従前ほどではなくなったものの、従前とほぼ同様であり、治療方法も従前とほぼ同様であった。なお、原告は、一一月一〇日賛育会病院に転院し、この当時、後頸部から肩甲角部にかけてのこりと疼痛とを主訴としており、他覚的には両肩甲部の著名な筋硬結と圧痛、握力の軽度の低下が認められ、診療医は原告に対し、はり治療、リラクセーション、軽い運動療法、自宅での温熱療法をすすめた。

原告の自覚症状は、昭和五八年になっても従前とほぼ同様であり、とりわけ一、二月は寒さが厳しいためか、頸、肩のこり・痛みが増大したものの、治療後は症状が軽くなった。治療方法も従前とほぼ同様であった。勤務時間は、同年四月一日から午前一〇時から午後五時まで(但し、毎週水曜は休業)となった。

2  医師、鍼灸師の診断・意見内容の概要は次のとおりである。

(一) 芝病院医師石川孝夫作成の昭和五七年三月三一日付労働者災害補償保険診断書

(1) 過去一年間における療養の内容及び経過の概要(主たる治療及び経過)

針灸、指圧、マッサージ等。症状は徐々に軽快に向いている。

(2) 主訴

頸肩のこり、腕のだるさ、疼痛等

(3) その他の主要な検査成績所見握力・筋力検査の実施(受診日には必ず実施)徐々に軽快に向っている

(4) 日常生活の状況

ア 行動能力

通院(単独歩行) できる

食事 支障がない

用便 支障がない

イ 精神能力 通院可能であるが就労できない

ウ 言語能力 支障がない

(5) 今後の治療の要否とその概要

入院 否

治療 要

(二) 芝病院医師石川孝夫作成の昭和五八年二月五日付はり・きゅう診断書

(1) 支給対象区分

一般医療とはり・きゅう

(2) 症状(主訴を含む)

頸、肩、腕のしびれ、こり、疼痛

(3) 治療上の禁忌及び注意事項なし

(4) 治療目的及び治療期間等

症状の緩和、顕著な症状消退をみるまで

(三) 賛育会病院医師杉浦裕作成の昭和五八年二月二三日付診断書

頸肩腕障害にて通院中。頸部から肩から背部にこり、疼痛、圧痛、筋硬結を認める。鍼灸・マッサージ治療にて症状軽快を認めるので、今後とも同治療は必要である。

(四) 賛育会病院医師杉浦裕作成の昭和五八年三月一六日付労働者災害補償保険診断書

(1) 過去一年間における療養の内容及び経過の概要

針灸、指圧、マッサージと体操療法指導で症状はやや軽快にむかい、比較的順調に職場復帰を続けている。

(2) 主訴

肩・頸部のこり、疼痛(右に強い)

右前腕のだるさ、疼痛

(3) 他覚的所見

右頸部から背部、腰部、右前腕屈筋群、左右大胸筋、左腰部に圧痛を認め、頸部の下部、肩甲部に筋硬結を認める。

(4) 今後の治療の要否とその概要

入院 否

治療 要

針灸、マッサージ指圧と体操の指導を要す。

(5) 今後六か月間の療養等の見通し

通院治療にて軽減勤務の程度を徐々に増す予定。上記治療にてゆっくりではあるが、症状は軽快しつつあり、今後も上記治療を要す。

(五) 賛育会病院医師杉浦裕作成の昭和五八年三月一六日付診断書

症状軽快し、四月一日より午前一〇時から午後五時までの制限勤務可能である。しかし、当分の間、針灸・マッサージ・体操療法は必要である。なお、週一回(水曜日)は完全休業を要す。

(六) 賛育会病院医師杉浦裕作成の昭和五八年九月二八日付診断書

症状やや軽快、一〇月三日より、午前九時から午後五時勤務可能(但し、水曜日は、針灸治療、マッサージにて休業を要す)。なお、当分の間、針灸・マッサージ、体操療法を要す。

(七) 賛育会病院医師杉浦裕作成の昭和六一年六月一七日付意見書

(1) 頸肩腕障害に対する針治療の有効性について

原告についても、発病当初は週二、三回、最近は概ね週一、二回の針治療を継続してきているが、一回の治療後二日間位は頸部から肩甲角部の重苦しさ・疼痛などの自覚症状の軽快を認め、針治療を休まざるをえなかった期間はあるものの、比較的順調に症状は軽快しつつあると判断できる。

(2) 三田労働基準監督署による「治癒認定」に対する意見

慢性疲労性疾病である頸肩腕障害の治療にあたって、何をもって治癒したかとする判断の基準を設定することは困難である。常識的に言えば、針治療等を含む治療を行わないでも相当長期間にわたって発病以前の体の状態が続かなければ、治癒とはいえないはずである。従来の疾病概念が、細胞・組織レベルでの病理学的変化を診断の基準としているのに対し、頸肩腕障害という疾病は、通常はこのような病理学的変化をきたさない。例えば、骨折の治癒概念が、骨とその周辺の運動器の機能が従前と同程度になれば「治癒」とするのと同じレベルで判断するわけにはいかないのである。頸肩腕障害が自覚症状、生活や労働上の不便さによって評価されざるをえない疾病であることから、個々の症例の治療にあたっては、苦痛なく通常の労働が可能となるまで(あるいは、通常の労働が苦痛なく可能となっても、その再増悪を予防すべく)治療を続けざるをえないのが現実である。高血圧や糖尿病・慢性肝疾患が、いわば一生続く病気として、生活指導を含む治療を続け、増悪期には入院を含む濃厚な治療を要し、安定期には経過観察を続けることと、治療にあたる立場は似ているといえよう。したがって、治癒の判断にあたっては、少なくとも治療を行わなくとも症状の増悪がないことの確認を行わなくてはならないはずである。

原告の場合は、昭和五七年一一月の転院以後、徐々にではあれ自覚症状・他覚所見とも軽快を示し、それに対応して職場復帰(軽減勤務の時間延長)も順調に進んできている。軽快したとはいえ、疼痛を中心とする自覚症状は今でも残り、一回の針治療によって二日位は症状の軽快を示している。前述したように針治療の有効性がほぼ確立した今日、針治療の無効性を明示しない限り、針治療の打ち切りはできないはずである。転院後、治療によって自覚症状・他覚所見とも徐々に軽快を示し、職場復帰も順調に進行したにもかかわらず、被告がいかなる理由をもって昭和五七年一二月三一日付で症状固定・治癒と認めたのか医学的に理解に苦しむところである。また、手続の上からみても、治療に責任を負う主治医の意見を一切聴取することなく患者の治療の機会を一方的に奪うやり方は到底容認できるものではない。

(八) 賛育会病院医師杉浦裕作成の平成元年五月一七日付診断書

経過は順調で、平成元年六月から水曜日も午前中一時間程度の就業可能。但し、週二回の針灸治療と時間内の運動療法(体操等)は必要である。

(九) 賛育会病院医師杉浦裕作成の平成三年二月二七日付補足意見書

原告の病状は、原処分庁決定以後も治療に伴って確実に軽快を示している。

客観的指標に乏しいと言われる頸肩腕障害であるが、本例では、<1>握力の軽快(昭和五八年一〇月二六日右二四キログラム・左一九キログラム、平成元年九月二七日右二七キログラム・左二四キログラム)、<2>筋硬結の拡がりと圧痛の程度の軽快、<3>手掌発汗等の自律神経兆候の著変改善を示している。これに伴って、職場復帰の時間・内容ともに確実に前進してきている。したがって、原処分庁の「症状固定・治癒」決定は、決定後の本例の病状経過からも誤りである。

(一〇) はり・灸みのわ治療院鍼灸師神谷節子作成の平成三年二月二二日付意見書

(1) 当院初診日

平成元年一一月一日

(2) 主訴

易疲労、頭重、目の疲れ、首・肩のこり

(3) 経過

初診時、勤務体制の変化(水曜全日休業から、水曜午前勤務、午後より休業に変わった)のためか、上記主訴が出やすい状態だった。翌平成二年六月ころまでは、徐々に好転しつつあったが、同年七月に職場配転があり、少しつつ悪化傾向。特に九月から一一月くらいは、目の疲れ、だるさ、顔面蒼白等の症状が一段と悪化。一二月から翌平成三年一月にかけて、だるさのひどい時に休むよう指導。その結果、平成三年一月から二月にかけては、少しづつ体調を持ちなおしつつあり、現在に至っている。毎回、術後二、三日、上記主訴も軽くなるも、三、四日すると、また、つらくなるので、当初より現在に至るまで一週間に二回のペースで治療を続けている。

(4) 所見

少しづつ好転しつつあるが、なお加療を要す。

三  ところで、業務災害に関する療養、休業保険給付は、労働基準法七五条、七六条に規定する事由が生じた場合に補償を受けるべき労働者の請求に基づいて行われる(労災保険法一二条の八)ところ、右請求は、被災労働者が使用される事業所を管轄する労働基準監督署長に対し、請求を裏付けるに足りる所定の事項を記載した請求書に、これを証明することができる書面を添付してしなければならないとされている(同法施行規則一二条一項、二項、一二条の二第一ないし第三項、一三条一項、二項)のであるから、療養補償ないし休業補償給付を受給しようとする被災労働者は、右請求にかかる給付について自己に受給資格のあることを証明する責任があると解すべきであって、右被災労働者が療養給付又は療養補償給付請求をするには、「業務上負傷し、又は疾病にかかったこと」、「療養が必要であること」(労働基準法七五条)、すなわち、当該治療等が医学的見地からみて当該疾病の療養として必要なものであること(労災保険法一三条二項参照)を、休業補償給付請求をするには、「必要な療養のため、労働することができないこと」(労働基準法七六条)をそれぞれ証明しなければならないものと解するのが相当である。したがって、右被災労働者は、療養補償ないし休業補償給付決定を受けた場合であっても、その後の請求に際しては、改めて、右受給要件を証明する必要があるものと解するのが相当であって、労働基準監督署長が、当該請求に対して、療養の必要性がなく「治癒」しているとして不支給決定をした場合においても、処分権者の側で「請求者の傷病が治癒したこと」を証明しなければならないと解すべきではなく、被災労働者の側で、未だ「治癒」していないこと、すなわち、症状が安定しておらず疾病が固定していない状態にあって療養の必要性があることを立証する必要があるものというべきである。

そこで、本件についてみるに、前記認定のとおり、原告は、本件疾病が業務に起因するものと認められた昭和四八年九月二五日以降、本件疾病が治癒と認定された昭和五七年一二月三一日までの約九年三か月間にわたり、芝病院、賛育会病院に通院して一般医療を受けるとともに、芝鍼灸所、丸野ハリ灸治療院、体心堂理療室、一本堂横山鍼灸療院においてもはり・きゅう、マッサージ等の施術を受けてきたところ、その治療は慢性疾患指導管理として運動療法、鍼灸、マッサージ等の指導が中心であり、また、はり・きゅうはその効果が一、二日という対症療法であって、前記期間における原告の主たる症状、治療及び経過は、気候、季節(特に寒冷期及び夏期のクーラーの冷気)又は業務の繁閑、変化等により、その症状には若干の変化はあるものの、顕著な改善はみられず、頸、肩のこり、痛み等の症状は固定していることなど、これら原告の症状及び治療の経緯等を総合すると、原告は、本件疾病について、昭和五七年一二月三一日時点において、既に昭和四八年九月二五日から九年以上にわたって、前記病院等に通院して治療・施術を受けてきたものであり、その療養状況は、芝病院、賛育会病院においては診察と機能訓練、機能障害指導等であり、一本堂横山鍼灸療院、体心堂理療室においては、はり・きゅう、マッサージ等をそれぞれくり返す対症療法にとどまっている一方、治癒認定時に近い時期における原告の主な症状は、頸、肩のこりと痛みとなっており、引き続く治療にもかかわらず、症状にさしたる変化はなく慢性化した症状を示しており、原告の疾病は既に急性症状が消退して慢性症状が持続し、その症状が安定し疾病が固定した状態に至っていることが窺われる。

以上のとおりであるから、本件においては、本件治癒認定時に、原告が未だ「治癒」していなかった(症状が安定しておらず疾病が固定していない状態にあって療養の必要性があった)とは認めることができない。

ところで、原告は、被告が治癒と認定した以降も通院治療を続けた結果、被告の治癒認定直後の昭和五八年二月当時の全身症状のうち、「生理不順」、「かぜをひきやすい」、「腕の痛い」、「指の冷える」ことが昭和五九年一二月時点で、また、「左頸、左肩の痛い」こと、「手のだるい」ことが平成四年七月時点でいずれも顕著に改善されており、さらに、日常生活での不便・苦痛についても、「布団の上げ下ろしがつらい」、「電話の受話器を持ちつづけるとつらい」、「水に手をいれるのがつらい」、「じっと坐っているとすぐつらくなる」ことが昭和五九年一二月時点以降顕著に改善されており、この事実は、治癒認定以降の原告のリハビリ就労の勤務時間が徐々に長くなっていったことによっても裏付けられる旨主張し、原告の本件疾病は治癒していないと主張する。

しかしながら、原告の症状は、前記認定のとおり、気候、季節(特に寒冷期及び夏期のクーラーの冷気)又は業務の繁閑等により変化が認められるのであって、特定の時点における症状等を摘出して比較したところで有意であるとはいえないのであって、現に、原告の主張する症状のうち、「生理不順」及(ママ)「かぜをひきやすい」については、同表によっても、平成五年七月当時には再び症状として発現している旨記載があるのである。

また、仮に、原告主張のように、特定の時点の症状を摘出して比較することが有意であるとしても、本件においては、全証拠に照らしても、原告の症状が、昭和五八年二月当時別表1から3の各A欄記載のとおりであり、昭和五九年一二月当時別表1から3の各B欄記載のとおりであり、平成五年七月当時別表1ないし3の各C欄記載のとおりであると認めるに十分な証拠はない。むしろ、前記認定のとおり、昭和五八年二月当時の症状は頸、肩、腕のしびれ、こり、疼痛の限度でこれを認めるのが相当であり(<証拠略>)、また、昭和五九年一二月時点での原告の症状も「一一月よりは楽になった。右首から肩痛む。右上腕も少し動かすと痛む。」(<証拠略>)、平成四年七月の症状は「右首は楽になったが肩は重い。しびれはない。首から頭も重い。」(<証拠略>)であると認めるのが相当であって、右別表を根拠とする原告の主張は採用できない。

本件においては、前記認定のとおり、原告の症状は、気候、季節又は業務の繁閑、変化等により、その症状には若干の変化はあるものの、発病後長期間にわたっているための自然的経過による若干の回復が見られる以外には顕著な改善はみられないまま、頸、肩のこり、痛み等の症状は固定していることが窺われるのであるから、本件治癒認定後の原告の症状を理由とする原告の右主張は理由がない。

また、本件においては、前記認定のとおり、治癒認定後においても、原告のリハビリ就労の勤務時間が段階的に徐々に長くなっていることは認められるけれども、このことが直ちに、原告主張のような、治癒認定時には本件疾病の症状は固定しておらず治癒認定後の治療が効果のあったことを裏付けるものではない。労災保険法にいう治癒とは、前記のとおり、医学的な意味の完全治癒ではなく、症状が安定し疾病が固定した状態にあって治療の必要がなくなった状態をいい、疾病にあっては急性症状が消退し、慢性症状が持続しても医療効果を期待し得ない状態になった場合をいうのであるから、治癒の成否が即、就労可能の有無ないしはその時間の多寡を意味するものではない。慢性症状が持続し医療効果が期待し得ない状態にある被災労働者に対し、右症状等に照らして即時の完全就労が困難である場合に、完全就労に向けて勤務時間を徐々に長くしていくという措置がとられることも決して不自然なことではないのである。したがって、原告の右主張も採用できない。

してみれば、本件治癒認定後に、ある程度の慢性症状の改善がみられ、これに応じて制限勤務の就労時間が段階的に長くなったとしても、これをもって治癒後の効果であると評価することは相当でない。

なお、原告は、(人証略)の証言等を挙示して治癒認定後も昭和五九年ころまでの間は症状は改善され続け、それ以後に横ばい状態になった旨主張する。

しかしながら、(人証略)の右証言によれば、同証人は、原告の訴える自覚症状をもとに原告の症状が改善されていると判断している旨証言しているけれども、同証人ら作成の(証拠略)によれば、原告の主訴等については前記のとおりの事実が認められるところ、原告の主訴にはさしたる変化が認められないのであるから、(人証略)の右証言部分はその前提を欠き採用できない。また、同証人は鍼灸・マッサージを必要とする旨の文書を作成しているけれども(<証拠略>)、同証人は、本人が辛さを訴える限りは鍼灸・マッサージ等を続けざるを得ない、原告については、現時点においてはその症状は横ばいであるものの、なお治療を継続中である旨証言しているのであって、労災法上の治癒概念とは別個の観点から、鍼灸・マッサージの必要性を判断しているものと認められるから、右書証等を理由に治癒認定の判断をすることはできない。

以上のとおりであるから、本件においては、本件治癒認定時に、原告が未だ「治癒」していなかった(症状が安定しておらず疾病が固定していない状態にあって療養の必要性があった)とは認めることができない。

第四結論

よって、原告の本件請求はいずれも理由がない。

(裁判長裁判官 林豊 裁判官 合田智子 裁判官 三浦隆志)

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